ボクは、ある時から、「全てを対称に
したい」というのが自分の
切ない衝動なのだと
気がついた。

教える側と教わる側。
送り手と受け手。
年寄りと若者。
日本人と外国人。
組織に属するものと、外にいるもん。

非対称性が持ち込まれてしまい
がちな全ての人間関係を
対称にして行きたい。
そのような動機から、いろいろな
行動が導き出されていることに
気付いた。

講演をmp3で公開していること。
芸大の授業のあとの上野公園の飲み会。
ゼミの時の、学生たちとの議論の仕方。
このブログを書いていること。

なぜ、対称性を求めるのか。
コミュニケーションが十全に
機能するためには対称性が
必要だというのが直観的な
説明だが、その向こうにはより
心理的な深層があるやもしれぬ。